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| 私がこの道に入ったのは、自然の流れたっだように思う。 親父も若い頃は建築大工をしていた。長野の権堂といえば花街で賑わった所である。料理屋さんなどの変った建物や数寄屋普請などやっていたと聞く。 私の中学生の頃には親父も老いていて、家の仕事場で建具や指物の仕事をしていた。私が学校から帰るのを待っていて、戸障子の縁をノコギリでよく挽割仕事を手伝わされた事があった。そのノコギリで今でも構造材の継手を刻んでいる。 子供の頃の手伝いだったが物を造り出す事の楽しさ面白さを知った思い出がある。 大工修行に入り二人の師匠について色々な事を学んだ。一人目の師匠は、木組の事を良く教えてくれた。 丸太梁の墨付け木組など、時には山へも連れて行ってくれ、木の曲がり具合を選び何番の梁にと決めて、後日、木樵(きこり)さんと再び山に入り伐採する。その時も木の精に祈り伐らせて貰う事も教えてもらった。 もう一人の師匠は、細かな造作仕事を教えてくれ、床ノ間の詳細寸法の出し方、納め方を教えて貰った。ある時、椹(さわら)の長押(なげし)を取付けていた時、長押が巾中で裂けてしまった。慌てて師匠に見てもらうと慌てず原因を見、ゆっくりやるようにと教えられた。師匠が自らくさびを外して裏打をし数日後に何もなかったかのように取付けて見せてくれた。今でも鮮明に思い出される。 違った二人の師匠からの教えを今も大切にしている。 自然の中に育まれた木を扱う者として、木の産い立ちを生かした温もりのある手造りの在来工法の家造りを何時も考えている。 金物も最小限に止めて木組を中心にした、伝統工法の住まいを目指している。 後何年仕事を続ける事が出来るか分からないが、若い人達と交流を深めて二人の師匠からの技術の技の伝承を計り後継者の育成に力を入れて行きたいと思っている。 現場は、職方、施主さんと一緒に時間をかけ楽しく造ってこそ良い家が 生まれ出るものと思っている。 木を組み、人と組んでこそ、設計者の意図が充分に施主さんに伝わっていくものと思っている。 堀 誠 |
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いまも、木の肌を自身の手に感じながら、墨を付け刻む、家づくりを心掛けています。在来木造住宅の和風建築を軸にしながらも、さまざまな経験をさせていただきました。子方時代には民家再生工事や庫裏(くり)の大規模改修工事に恵まれました。土蔵のリフォームでは、若き建築主さんの夢を一緒に歩かせてもらいました。また、大学の先生方のプロジェクトに大工として参加させていただき、木造の柔軟性と無限性を再発見することができました。建築主さんのさまざまな想いにふれあい、感じながら、いまも毎日 仕事をしています。 設計士になれたらいいなと 高校時代に漠然と考えていました。いま思えば、きっとその想いが弱かったのでしょうね。現役で進学できなければ大工になれと 父親に言われていましたが、一年間まわり道をさせてもらい 大学に進学することができました。 大学3年の前期までは、設計の授業を迷いなく履修していました。でも、ふとしたきっかけから始まった 人との出逢いに背中を押されて、『自分の手でモノがつくれるようになってから、設計をしたとしても決して遅くはない』そう強く感じるようになり、建築設計(意匠)ではなく、建築構法(生産)の分野に進みました。 大勢の友人に囲まれて大学を卒業し、同年に宮澤建築へ内弟子として弟子入りしました。親方には大工としての技術だけでなく、棟梁として、経営者として、また社会を歩く大人としての心構えを毎日一番近くで教えていただきました。そうしたたくさんの人との出逢いに導かれるようにして、自分にも一級建築士が取れたと思っています。 これからは、設計を手掛ける大工棟梁に与えられるべき課題にも取り組みながら、親方や父親が大工として一番伝えたかったと思われる想いを真撃に受け止め、自分の目標として仲間とともに育んでいきたいと思います。 この度のホームページ製作にあたり、快く写真の掲載を承諾していただき、お忙しい中コメントをいただけましたことを心より感謝いたします。また、製作を手がけていただきました スタジオ・スペースツー のスタッフの方々にも重ねてお礼を申し上げます。ありがとうございました。 堀 幸一 |
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